すごくよかった
※同棲(社会人、またはプロ)設定







 おだやかな朝、降りそそぐ日ざしを全身に浴びてゆっくりとからだを起こし、両腕を空に向かってひろげる。ううんとおおきく伸びをして、となりで眠る彼を起こさないよう、そうっとベッドから出る。床にちらばった下着や部屋着をひろい、そのなかのショーツだけをはいて洗面台の鏡の前へ行き、鏡ごしの、起きぬけの自分と対峙する。
 ぼさぼさの髪。隈の浮き出た目蓋。長い夜をくぐり抜け、乾燥した肌。とても美人とは言えないその風貌に、われながら失笑してしまう。
 こんな姿、彼と出会うまでは、家族やごく親しい友人にしか見せられなかった。見せたらきっと幻滅されてしまうだろうし、そうなったら恥ずかしいし、そうなることが怖かったから。けれども、彼はちがった。こんなわたしでもかまわない、かえってそのほうが愛しさが増してゆくのだと、いつも真剣な表情でわたしに言うのだった。そうして言葉以上に、目や口や、からだのぜんぶを使ってそれを表現してくれた。
 側から見れば寿人は、ちょっと変わったひとなのだと思う。わたしは生まれてから一度もそんなことを言ってくれるひとに出会ったことがなかったので、だからわたしは寿人のことを、だれよりも大切に想っている。


「おはよう」
「おはよう」
、早いな」
「そう? 今日は遅いほうだよ」
「そうか」

 つめたい水で顔を洗い、歯みがきをしていると、下着姿の寿人が寝ぼけ眼で洗面室へ入ってきた。頭をがしがしと掻いて、わたしのとなりに並ぶ。からだをすこし避けてあげると、おなじように顔を洗って、びしょ濡れのまま、歯ブラシを──歯みがき粉は昨晩、ストックしてあったものがなくなって、新しいものを買ってくるのを忘れてしまい急遽近くのコンビニへ出かけ、買ったものだ──くわえた。ふたりで鏡の前に立ち、歯みがきをする。その間交わした言葉は何もなく、わたしはいっしょに暮らすっていうのはこんな感じなんだなあ、毎日、些細なことでうれしさや愛しさを感じられるって、こんなにしあわせなことなんだなあ、と、そんなことを思ったりした。

 ひとあし先に歯みがきを済ませたわたしは、寝ぐせのついた髪をなおすため、整髪料を少量手のひらにとり、髪全体になじませ、ドライヤーを取るために手を伸ばした。ひとつに束ねられたコードをほどき、コンセントにさし、電源を入れる。風の音とモーターの音とが、ごうごうと部屋じゅうに鳴り響く。



 歯みがきを終え、口元をタオルで拭きながら、寿人がわたしを呼んだ。ドライヤーの音で聞きとりにくいなか、後ろ手にはっきりと名前が呼ばれて、電源を切り、手櫛ですこしとかしてから、彼のほうを振り返ろうとする。

「どうしたの」

 彼の手が、背を向けたままのわたしの肩をやさしく抱き、肌の上をするすると滑り下りてゆく。うなじや首筋には唇を寄せ、縷々とつづく昨夜の余韻を慈しむように、腰や胸の緩やかな曲線を、上から下へ、下から上へと何度も何度も往復する。


「昨日、すごくよかった」

 肩口にキスを落としながら、彼がぽつりと言った。この状況で言われれば何がよかったのか、だいたいの予想はつくけれど、めずらしく甘えたような表情を浮かべている彼があんまり可愛らしいので、わたしはつい意地悪したくなってしまう。

「何が、よかったの」
が、よかった」
「わたし?」
「うん」
「わたしの、どこが?」
「ぜんぶ」
「ぜんぶ?」
「うん、ぜんぶよかった」

 顔も、声も、からだも、何もかも。
 そんなふうに言いながら彼が首筋を舐めあげ、耳たぶを食んだので、とっさにわたしの口から、あっと驚くような声が溢れた。彼の眠たげな愛撫がしずまっていたわたしのからだの奥をじんわりと溶かして、触れたところから波紋のように熱が生まれてゆく。

「ねえ寿人」
「うん」
「昨日のつづき、しよう」

 髪はふたたびぼさぼさに乱れて、寿人は、すくい上げるように軽々とわたしを抱きかかえ、温もりの残るベッドへ縫いつけた。取りはらわれた下着は床へと戻り、彼のからだが、わたしの上で揺れ動く。手を握り、指を絡ませ、キスをする。深くながいそれは、息もできないほど、あまくてくるしい。わたしはシーツの波間に埋もれ、このままふたりで溶けてしまえたらいいのにと、そんな夢みたいなことを考えて、彼の首に腕をまわした。







2019.08.12