君に首ったけ







 さんと付き合いはじめてから、俺はときどき、自分がよくわからなくなる。まるで自分が自分じゃないみたいに、自分の意思よりもさきに、からだが本能的に動いてしまうことがある。こうやって言葉にしてみると、この衝動はもしかしたら、サッカーしてるときとちょっと似ているのかもしれない。頭よりさきに──この場合は足じゃないけど──手が出ちゃう感じ。なんて言うのか、本能みたいなものがさ、俺に話しかけるわけ。いましかないだろって。わかる? こういうの。


 いっしょに下校するときだってそうだ。駅のプラットフォームでスマートフォンをいじりながら、ふたりならんで電車を待っていると、さんが俺の制服の、シャツの背中のところをつまんで、よわく引っぱってくる。シャツの生地がかさかさ動いて、肩のあたりが突っぱる感じがして、くすぐったくて、思わず俺はさんのほうを見る。さんはなにか言いたげに、でも、ぎゅっと口を結んで、恥ずかしそうに俺のほうを見る。俺は持っていたスマートフォンをズボンのポケットに押しこんで、そのまま片手を後ろへまわして、彼女の手を掴む。そうして掴んだ手に指を絡めてゆるく握ると、さんはうれしそうに笑って、学校であった、いろいろのことを話しだす。だから俺も、部活のこととか、授業中にあったくだらないこととか、昨日見たバラエティ番組のことなんかを話すんだけど、たいてい気づいたらサッカーの話になっていて、それで俺が、ああ、またやってしまったって、気まずい顔をすると、さんはすっかり力の抜けた笑顔を見せて、にこにこ頷きながら、わからないなりにも精いっぱい、俺の話に耳を傾けてくれる。

 学校ですれ違うときには、年上だからって、一学年しか変わらないのに大人っぽい、すました顔してろくに目も合わせず通り過ぎて行くくせに、こんなふうに子どもみたいな、あどけない笑顔を向けられたら、俺はもうそれだけでたまらなく好きだっていう気持ちになって、それで、さんを愛おしく思う反面、このプラットフォームに俺たち以外、誰もいなければいいのにと思う。もしほんとうに誰もいなかったなら、俺はすぐにでもさんを抱きしめ、深くながく、とろけるような口付けをしたことだろう。それはもう、ものすっごいやつを。


 それに、このまえ、念願叶って、俺ははじめてさんの部屋へ入ることができた。そりゃあもう、めちゃくちゃ興奮したし、うれしかった。ここへ辿りつくまで、俺がどれだけ頑張ったと思う? 好きな女の子の部屋なんて、わくわくしないはずがない。俺は部活が終わってから一旦家に帰り、いそいでシャワーを浴びて、手持ちのなかでいちばん気に入っているジャージに着替えてから、この日のために用意しておいたコンドームをいくつかポケットに突っこんで、さんの家へ向かった。
 さんは、ティーシャツの上にふわふわした素材のパーカーを羽織って、下にはショートパンツを穿いて、いかにも女の子って感じの、お菓子みたいに淡い色づかいの部屋着を身につけていた。俺は、やっぱりこのひと最高だって、心のなかでさんと、彼女を好きになった自分自身を盛大に褒めたたえた。

 それからべつに学校の課題をやるわけでもなく(そもそもそんなの持って来てもいなかったわけだけど)、友達にすすめられて気になっていた動画をいっしょに見たり、さんが好きだという少女漫画をぱらぱらめくって眺めたり(ちょっとだけエロいシーンもあって、俺はすこしどきっとした)、できるかぎり穏和な雰囲気を心がけて様子をうかがいながら、あわよくば、と思っていた。だって、俺もオトコだしね。


「テレビ、見る?」

 さんが俺にそう訊ねて、突然に好機が訪れた。

 その時間帯はとくに見たい番組もなかったから、俺がイエスともノーともつかない曖昧な返事をすると、さんはゆっくりと腰を上げ、赤ん坊がするみたいに、四つ這いの姿勢で、主電源を入れようと黒い画面へ近づいていった。そうしたら、なんと、俺の視線の先、彼女の穿いているショートパンツの裾から、白にちかいピンク色の、光沢のある生地と繊細なレースが、ちらりと顔をのぞかせているではありませんか。しかもそこから、おしりの膨らみがほんのわずかにはみだしていて、瞬間、俺の本能が、いましかないだろって、そう言った。たしかに、そう言ったような気がしたんだ。
 とっさに俺はさんの脚の付け根のところへ手を伸ばして、見え隠れする下着を覆うように、ちょっとだけ裾をずり下げた。おしりのやわらかい肌に指先が触れて、俺はすぐに手を引っこめたんだけど、さんは瞬時にそれに気づき、どこから出したのかわからない奇妙な声をあげて、ぺたりとその場に座りこんでしまった。顔を真っ赤にして振りかえり、泣きそうな目で俺を睨む。これはまずい事態だ。非常にまずい。そう思った。

「亀ちゃん、いま、おしりさわった」
「だってさんがそんな格好で、あんな体勢してさあ…、誘ってんのかと思ったよ俺は」

 はぐらかすつもりが、心もち怒ったような声で、しかも堂々と本音をこぼしてしまい、俺はまた、まずい、と思った。しかも、すっげーダサい。急に顔が熱くなって、でもすぐに、これは仕方のないことだ、とも思って、開き直った。いま思えばあれはきっと、俺なりの駆け引きだったんだ。本能による、俺のための。たぶんね。そういうことにしといてよ、恥ずかしいから。

 そんなふうに言い訳じみたことを言ってたら、さんは座り込んだまま、床に置いた手を強く握りしめ、動かなくなってしまった。俺はとうとう、謝るほかになくなった。

さん、ごめんね?」

 彼女はなにも言わない。これはほんとうに、まずいかもしれない。

「ごめんって」

 俺は背を向けているさんの肩を抱き、耳のあたりへ顔を寄せた。俺が編みだした、いざというときの彼女への対処法。わざと音がするようにぴったりと唇をくっつけて、すこし降りていって首すじへ、それからそこで、深い息をする。シャンプーの甘いにおいが鼻をくすぐる。部屋着の上からでもわかるほどに、さんのからだはやわらかくて、おんなのひとのからだをしていて、唇を伝う肌の感触はしっとりと湿っていて、吸いこめば鼻腔いっぱいに彼女のにおいが広がって、俺はつい、かじりつきたくなってしまう。

さん」
「やだっ……」
さん、ごめんね」
「……や、」
「ごめんなさい」
「……」
「怒った?」
「うん。ちょっと、ね」
「許して」
「うーん……」
「おねがいします」
「…んんっ」

 唇の先をさんの耳へ貼りつけたまま、おおげさに口を動かして話すと、彼女は肩を竦めて、くすぐったそうに身を捩った。ながい睫毛が微かに震えて、俺はちょっと嗜虐心を煽られた。あぶない、あぶない。紛らすために、肩に触れていた手を今度は細い腰へまわして、力いっぱい抱きしめた。

「じゃあ、さわってもいい?」
「もう、さわってるじゃない」
「…いーい?」
「……亀ちゃんの変態」
「うん、オトコはみんな変態だ」
「ばかっ」
さん、さわらして」

 もうこれ以上おあずけを食らうのは、俺としてもどうにも我慢ならなくて、彼女のからだを翻し、押し倒せば、これ以上ないぐらいに色っぽい顔をしたさんが目の前にいて、俺はそこで、ついに理性を手放す決心をした。


 そのあとは、ご想像のとおりに。まあ、結局はさんがいけないんだ。あんな可愛い顔して、俺をこんなにしてさ。それでも俺は、あのとき、彼女のピンク色に上気した顔を見下ろして、このひとには到底かなわないって、そう思ったんだよ。







Foster the People: I Would Do Anything for You
2019.11.22