抱っこ







 唇と唇が触れるときの、あの独特のやわらかさとか、しっとりとした感触とか、そこを割って入ってくる舌の滑らかさなんかが好きで、だから何度でもしたいって思う。

 大柴くんとはじめてしたキスは、夕方から夜になるちょうど真ん中ぐらいの時間帯だったので、視界は薄暗く、いろんなものの輪郭がほとんどぼやけていて、目を瞑り押し当てられたそれは、右の端のほうだった。あ、しまった。彼が短く言い、それから、今のは無しだと断って、もういちど肩を掴んだ。ふたたびしたキスは、こんどはちゃんと唇どうしが触れたのだけれど、勢いあまって歯までぶつかった。



 監督が、オフの日はゆっくり休養しろと言っていた。俺は家で休んでいるから、来い。
 そんな理由でわたしは彼の部屋へ行く。会いたいなあ。たったそれだけの、絵文字も飾りもない一文を送信したら、着信音が鳴って、そう言われたのだった。電話越しの声が、ちょっと笑っているみたいだったので、わたしもちょっと笑う。

 大柴くん、着いたよ。メッセージを送信してインターフォンを鳴らすと、すぐさま彼が扉を開き、手を引っ張って部屋へ導く。大袈裟な音を立てて扉が閉まる。きっと力任せに把手を引いたのだ。すこしびっくりして彼のほうを見ると、彼は挑発的な、それでいて神妙な眼差しでわたしをじっと見下ろしていた。。骨ばった大きな手が、肩を包む。背筋をぐっと縮めて屈み、首を傾げ、顔を近づける。わたしはわずかに顎を上向きにして彼を見上げ、そっと胸元に掴まる。とめどなく、やさしいキスが降ってくる。


 向かい合うようにして彼の膝に跨り、背中にしがみついて、深く腰を沈める。彼は沈めた腰の内側の、もっとずっと奥のほうを目がけて、押し分けるように、抉り取るように、擦り付けるように、何度も何度も揺さぶっていく。濡れそぼったわたしの口から、言葉に成らないままに、次々と声が溢れ出る。

 もうはじめてでもなんでもないこの行為は、幾度目かのときにこの体勢でわたしがはじめていったので、それからわたしも彼もこの体勢でするのが気に入った。これには、ほんとうはきちんとした呼びかたがあるらしいのだけれど、あんまり頭のわるいわたしたちには、そんな熟語じみた、かしこまったような、かたい感じの言葉にはどうにもしっくりこなくて、抱っこ、と言うことにしている。抱っこ。子どもみたい。

「大柴くん、抱っこ」


 大柴くん、宿題。大柴くん、スマホ。そんなときには、さっぱり分からんと放り投げてみせたり、お行儀わるく足で引き寄せたり、俺は召し使いじゃない、自分で取れなどとぶっきらぼうに言ったりするのに、抱っこ、と言うのには聞き分けよく、すんなりと受け入れ、すんなりとしたがう。繋がったまま、抱きかかえて上体を起こし、そうしてまたゆるやかな律動を始める。わたしがいくら背中に爪を立てても、なんの文句も言わない。息を荒げて、ずんずん、突き動かしていく。


「あっあっ」
、気持ちいいか」
「うんっ、いい、いい」

 抱っこ、きもちいい。


 揺れかたが大きくなって、そのたびに湿った皮膚が、ひたとくっついて離れる音がする。わたしはなんだか心地よくなって、身のまわりの、いろんなことがどうでもいいような気持ちになる。ふいにまた、彼の唇が触れる。はじめのころにくらべれば随分と上手になったと思われるそれは、わたしが熟達させたみたいで、すこしうれしい。
 大柴くんの唇って、薄くて、やわらかいんだね。ほうけたように言いながら、揺さぶられながら、一所懸命に舌を吸う。なに、はじめてみたいなことを言っている。甘い息とともに吐かれた言葉たちは、わたしの耳に淡く届いて、蕩けて消えた。







'対面座位'
2019.06.11