趣味のいい脚
※中学3年生(共学)の頃の話です。
※捏造過多








 脚の太い女は最悪だな。
 となりの席の平くんが、頭の後ろで手を組みながら眠たげな表情で呟いた。彼の席は窓際のいちばん後ろで、背後には掃除用具を入れておくための細長いロッカーがあるだけだ。そして彼の前の席には、熱心に黒板の文字に目をやる男の子。わたし以外にだれも平くんの放った言葉に気づいた人はいない。それにいま、彼の近くにいる女は、右となりのわたししかいない。

「えっ…」

 この状況を考えれば、わたしのことを言っているのかと思ってしまうのも当然だろう。なにか平くんを怒らせるようなことをしただろうか。1週間前の英語の単語テスト、昨日の5時限目の体育、今朝のホームルームからいままで、順ぐりに記憶を辿ってみたけれど、わたしは普段から平くんとあまりに話をしていないから、見当がつかない。


「ああ、すまない。つい声に出てしまった」
「べつに、いいんだけど」
「いや、昨日先輩が『どうしてもお前に紹介したい女が居る』なんて言うから練習のあと仕方なく会ってやったんだが、太いくせにスカートがもの凄く短くて並んで歩くのも憚られるほどだったんだ」
「……」
「結局面倒になって、近くの公園でちょっと話して先に帰ったよ」
「へえ…」
「こんなに短かったんだ」

 平くんは組んでいた手を解き、自分の脚の付け根のほんの少し下を指先で押した。女の子が履いていたスカートは、腿のいちばん膨らみのある部分で切られているらしかった。きっと彼女の下心がそうさせたのだ。
 わたしには、相手が年上なのか年下なのか、どこの誰なのかもまったくわからないけれど、ひどい言われようだと思った。その子は少なからず平くんに好意を寄せていたはずなのに、本人の居ないところで彼はその子のことを悪者のように話した。かわいそう。スカートの短い女の子も、授業中に聞きたくもない話を聞かされたわたしも。

「平くんって結構ひどいこと言うんだね」
「そうか?」
「そうだよ」
たちこそ、いつも同じようなことを話しているだろう」



 中学生になると、これまでの小学生だった頃のわたしたちは徐々に姿を消した。この前まで友だちだった子が友だちでなくなったり、部活のメンバーと過ごす時間が長くなったり、友だち同士だと思っていたあの子とあの子が付き合いだしたり、学校に来なくなったり、そんなふうにして、わたしたちはあっという間に3年生になった。慌ただしかった高校受験も終わり、わたしは家の近くの公立高校へ、平くんはスポーツ推薦で早々に青函学園への入学が決まった。中学生は思っていたよりとっても忙しかった。

 加えてわたしたちは思春期という時期の真っただ中に居るらしかった。女の子たちがひそひそと月経や胸の大きさの話をしたり、部活の最中に好きな男の子の話をしたり、彼氏とデートをしたとか、キスをしたとか、ついには処女をすてたとかいう話を、毎日毎日飽きずに繰り返している。そんななかで男の子たちは、背伸びをしても追いつけないくらいの身長になり、からだは骨張ってきて、低く色っぽい声に変わっていった。それを見た女の子たちがまた、彼らに不当な評価をする。それぞれの基準で、それぞれの経験値を稼ぐために。何度も彼らを殺し、何度も彼らをすくい上げる。



「その点で、は趣味のいい脚をしているな」
「…どういう意味?」
「身の程を弁えているということだ」
「…ごめん、よくわかんないや」
「お前を褒めてるんだよ」

 平くんは小さく溜息をついて、わたしの頭の天辺から上履きの爪先まで、じっとりと舐めるように視線を這わせた。随分回りくどい褒め言葉に、背筋が粟立つのが分かった。


 彼は1年生の頃からとてもよく目立った。いい意味でも悪い意味でも。目鼻立ちの整った綺麗な顔に、さらさらした髪、何を考えているのかよく分からないアーモンドみたいなかたちの双眼。彼がサッカーボールを蹴れば1年生から3年生までたくさんの女の子たちが見物に来て、うっとりとしたまなざしで見詰めた。そのなかから勇気を出して告白する子もいればそうでない子もいたけれど、告白した子とはたいてい付き合って、すぐに別れた。面白いほどにころころ変わる彼の恋人たち。平くんはそうやって理想的な女の子をずっと探しているのだ。自分の本能に忠実に生きている。いい意味でも悪い意味でも。


 身の程を弁えているというのは、わたしの細くも長くもない、平凡な脚のことを言っているのだろう。いま履いているスカートは、2年生の終わりに短く手直ししてもらった。膝と脚の付け根の真ん中よりも3センチほど上の、いちばん脚が細く、バランス良く見える丈。わたしは自分を良く見せる術を、この3年間で少しずつ身に付けてきた。スカートの丈、ソックスの長さ、体操着のジャージのサイズ、前髪の分け目の位置、化粧の仕方、下着の色。そうして、いつしかほんとうの自分をどこかへ置き去りにしてしまった。


「コンプレックスは、たぶん、みんな抱えてると思う」
「ほう」
「わたしだって、自分の脚なんかちっとも好きじゃないし…。いまはスカートでうまい具合に隠れてるけど、結構太いもん。あと二の腕とかも…」
「だったら俺に見せてみるか?

 その隠れた部分。」


 平くんは適当に教科書とノートを広げて、いかにも授業に参加しているような振りをしながら前のめりに姿勢を正し、視線だけをこちらへ流して言った。なんて悪戯な科白だろう。口角はほんのすこし上を向いていた。それなのに、ほかの男子生徒が言うねっとりと纏わりつくような下心を含んだ声音には、まるで聞こえなかった。目はいつもみたいに何を考えているのかよく分からないけれど、見詰めれば見詰めるほどその奥の漆黒に吸い込まれそうになる。わたしは彼の基準を満たしたのだろうか。わたしの持っているなにかが彼の琴線にふれたのだろうか。或いは一瞬でも、わたしが彼の理想になりえたというのだろうか。窓際の、分厚い緑色の遮光カーテンが風に揺れた。

「俺はのこと、そんなに嫌いじゃない」

 彼の、好きと言わない狡さ。余裕綽々の顔。それに惑わされ、揺らいでしまう自分。心底憎らしいと思った。それでも、突き刺した言葉の奥にあるほんとうの彼を知りたい。スカートの奥の、ほんとうのわたしを知ってほしい。その“ほんとう”が、塗り固めた虚勢だったとしても。

「わたしも平くんのこと、そんなに嫌いじゃないよ」

 止まない胸のざわめきを精いっぱいの愛想笑いで隠して告げると、彼はだまってノートの端を破り、連絡先を記した。







Happy birthday, my love!!
2019.04.13