サラバンドが終わったら
バッハの無伴奏チェロ組曲がすき。夜、ベッドに入るまえにこの曲をきくと、おだやかな気持ちで眠りにつくことができる。ほんとうは、晴れた日の朝や、よく陽のあたる午後の優雅な時間に、かおりのいい紅茶でものみながら、のんびりときくのがいいのかもしれない。それでも、わたしは夜にきく。
心地よい低音が、おなかの奥にひびいていく。ソファの上、雄太くんのとなりで、腕と腕をぴったりとくっつけて、彼の体温をかんじる。
「今日ね、雄太くんが出かけているあいだ、ここで映画をみてたの」
「どんな映画?」
「恋愛ものだよ。普通ならめぐりあわないような職業のふたりが、最後には結ばれるの。わたし、最後のシーンがお気にいり」
雄太くんが、どんなシーンなのか俺におしえてくれないか、というので、わたしは彼の手を握って、指を絡ませながらつづきを話した。
「タクシーのなかでね、男の子が煙草を吸っていて、女の子も自分の煙草をくわえるの。それで男の子に、火をちょうだいっていうの」
「それから?」と、雄太くんがわたしの目をみてきく。
「男の子が女の子に、きみ、ライターを持ってるだろっていうの。すると女の子が、あら、あなたの目のまえに火があるじゃないのって。ああ、と男の子が気づいて、顔を寄せあって火を分けるんだけど、そのときの煙草をくっつけている姿が、まるでキスしてるみたいで、とっても素敵だった」
ひとしきり話し終えると、雄太くんは「こんなに多弁な
はめずらしいな」なんていいながら、なにか企んでいるようなほほえみを浮かべて、再現してみせてよ、というのだった。
「じゃあ、雄太くんは男の子の役ね。もうちょっと、こっちむいて、すこし顔を寄せて…」
わたしは女の子の役になりきって、空気でできた煙草をくわえる。そうして、雄太くんの口にも煙草がくわえられていて、その先端が赤く燃えているものとおもって、それをみつめながら、ゆっくりとちかづいていく。目のまえが彼でいっぱいになり、空気の煙草の先端がかさなりあって、ぼとり、と灰が落ちる。これで、再現はおしまい。そのはずなのに、こんどは、掬うように、彼の唇がわたしのそれに触れる。
「おどろいた?」
「…キスはしないのに」
わたしがいうと、雄太くんは、それじゃあ、今日はもうキスはなしだな、なんていじわるなことをいうから、わたしは駄々をこねるように、握った手を上下に振るのだ。
「ずるいよ、雄太くん」
「はは、嘘にきまってるだろ」
さっきの、寸止めされたのかとおもったよ。
彼があんまり子どもみたいな顔でわらうから、わたしはこらえきれずに、もういちど顔をちかづけて、唇をねだった。これからベッドのなかで抱きあって、何度でもしよう。みじかいのも、ながいのも。わたしたちをつつむように、やさしい旋律がながれる。サラバンドが終わったら、寝室へとむかう。
2019.05.12