しあわせにねむる







 アパートのちかくのバス停でタクシーをおりると、部屋のカーテンからうっすらと光がもれていた。あたたかいオレンジ色のそれは、まるでわたしの帰りを今か今かと待っているようで、胸の奥からじわりとなにかがとけてゆくのをかんじた。
 空はもうすっかりくらくなっていて、ほとんど黒にちかい紺色をしている。そこに、砂つぶみたいにばらまかれた星たち。
 もうすぐ、日づけがかわる。


「ただいま…」

 できるだけ音のしないように扉をひらいて、からだをすべらせ、そっと鍵をかけた。


、おかえり」

 夜の空よりもすこしだけあかるい藍色のエプロンをつけた雄太くんが、キッチンに立っていた。わたしは寝室のスツールの上にカバンを放り、ジャケットをハンガーにかけ、コートフックにつるした。


「のみすぎちゃった」

 椅子に座ったとたん、ダイニングテーブルに突っ伏したわたしをみて、雄太くんは「酒くさいな」といい、わかりやすくため息をついた。

「また帰りにタクシーを使っただろう」
「うん」
「いってくれれば、むかえに行ったのに」
「だって…」

 そういいかけると、雄太くんは「はいつもへんなところで気をつかうんだから」といって、うなだれているわたしのまえにお茶碗がわりのボウルと木のスプーンをおいた。食事のときにいつもつかっている、白地にイエローの縁取りの入ったボウル。雄太くんとおそろいの、コンランショップでみつけたものだ。グレーが雄太くんで、イエローがわたし。

「わあ、いいにおい」
「梅干しは、二日酔い予防にもいいらしい」
「いただきます」

 それは、鮭フレークの上にちいさな梅干しをそえた、だし茶漬けだった。淡い黄金色にかがやくそれに、ひたひたに浸かったしろいごはん。ふだんおべんとうにいれている鮭フレークが、なんだかとても豪華なしろもののようにおもえた。ちょっとものたりないくらいの量が、雄太くんの、わたしへのやさしさなのだろう。締めには充分すぎるくらいだった。


「おいしい…」
「それはよかった」

 鼻に抜けるふんわりとしたかつおぶしのかおり。塩気のつよい梅干しが適度なアクセントになっていて、それらのうまみを吸ってやわらかくなったごはんは、酔ったからだにさらさらと入っていった。


「そういえば今日、ピノ・ノワールのボトルを買ったんだ」
「何年?」
「2014年」
「うーん…のみたいけど…」
「いや、明日にしよう」

 雄太くんはボトルをもって、カウンターテーブルの下の収納棚にしまった。

 お酒がのめるようになってから、雄太くんとわたしはワインを少々たしなむようになった。わたしたちは赤ワインを好んでのんだ。とくに週末になると、ふたりでかりてきた映画や、録画したプレミアリーグの試合をみながら、はちみつ漬けのナッツをつまみに1本のみきってしまうこともあり、そのたびにわたしは結末がわからないまま、ねむりについてしまうのだった。


「おなかいっぱい、もうたべれない」


 わたしはそろそろと脱衣所へいき、1枚ずつ服をぬいで、家であらえるものはネットにいれて洗濯機へ、そうでないものはクリーニングに出すためのかごへ入れた。廊下のむこうで雄太くんがわたしの食器をあらう音がきこえた。



 化粧をおとして、下着のままベッドへもぐりこむ。ブランケットのやわらかな質感が、素肌にじかにふれてここちよい。すこしして、寝巻に着替えた雄太くんもベッドへ入った。ふたりで横になってちょうどぴったりのダブルベッドが、うれしそうにきしんだ。


「まったく、飲み会のときは毎度心配でたまらないよ。ひとりで帰ってくるにしても、連絡のひとつくらいできるだろう」

 わたしの、お酒や煙草のにおいがしみた髪を梳きながら、彼がやさしい声音で諭すようにいった。まるで、おとなが子どもにいいきかせるように。

「今日も心配した?」
「もちろん」
「つぎからは、ちゃんと連絡します」

 わたしは「ごめんなさい」とあやまって、雄太くんの胸にぴったりと頬をくっつけた。彼の体温が、ゆるやかに頬をつたってくる。


「雄太くん、おなか、なでて」

 彼に背をむけ、手をひいて臍の下へあてがう。大量のお酒と締めのだし茶漬けを溜めこんだそこはおおきくふくらんでいて、呼吸のたびに浮腫んだ内臓がごろごろとゆれているようなかんじがした。


「食べすぎじゃないか?」

 マットレスが弾み、雄太くんがわたしと平行になるように寝返りをうつ。わたしとおなじ方向をむいておなかをさする。つつむように、あたたかい手のひらが規則ただしく上下にうごく。きもちいい。

「わたし、今日いちにちでまた太ったとおもう」
「そうかもしれないな」と、頭のうしろで彼がわらった。

 事実、わたしは雄太くんと一緒に生活するようになってから、3キロ太ってしまった。それはおそらく、雄太くんのつくるごはんがおいしいからだ。基本的には食事のしたくはわたしの役割りなのだけれど、仕事のかえりがおそくなるときや、彼のゼミやバイトがはやくおわったときなんかは率先してつくってくれるので、とてもたすかっている。つまりは、しあわせ太りということなのだ。それなのに、自己管理の鬼である雄太くんは、「5キロ太ったらわかれる」などと、冗談とも本気ともとれるような文句でおどしてくる。

「これ以上太ったら、雄太くんはおこる?」
「うーん、どうかな」
「わかれる?」
「まさかお前、あれを信じてたのか」と、彼はまたわらった。

「でも、どうしてだろうな。俺はが痩せても太っても、ずっとすきでいられる自信があるんだ」

 わたしのおなかをやさしくなでながら、いつもの、ゼミでのことやバイトのことを話すのとかわらない口調でいうので、わたしはうれしさとはずかしさがないまぜになって、彼の手に自分の手のひらをあわせ、親指の腹で何度も彼の甲をさすった。ことばを発するたび、彼の息がうなじにかかって、すこしだけくすぐったい。でも、それさえもわたしをしあわせな気分にさせるのだった。


「わたしも、雄太くんのことずっとすきでいられる自信あるよ」
「そうでなきゃ困るよ」







2019.05.20