苺のコクテイル







 締め切り前のレポートにかじりついている蒼也くんを見られる機会はあまりない。ボーダーの任務でいくらスケジュールが立て込んでいても、だいたい期限の三日前には提出物を片づけてしまうので、わたしは彼の珍しい姿を見て、にこにこ笑いながら、ラップトップのとなりに、真っ白なティーマのボウル皿を置く。部屋の照明に照らされ、お皿の中央でつやつやと飴色の光沢を帯びる苺は、夕方行ったスーパーで、特売だったもの。

 ティーマのなかの一粒に、デザートフォークを立てる。赤く煌めく苺へ、容赦なく垂直に突き刺して、ヘネシーとアカシアの蜂蜜で作ったソースをよく絡め、レモンを絞り、垂れないように彼の口元へ持って行く。

「蒼也くん」

 名前を呼べば、呼応するように彼が口を開ける。それはちょうど苺が一粒入るぐらいの大きさで、わたしが食べさせようと準備していたのを、視界の端で捉え、察していたのだろう。ぱくりとフォークを咥え、目線をラップトップへ投げたまま、苺だけを器用に抜き取り、咀嚼する。噛み締めるたび波打つように形を変える唇が、愛おしい。

「アルコールが強い」

 おいしいともまずいとも言わないけれど、フォークを握るわたしの手に彼の左手が重ねられ、みずからすすんで次の苺に手を伸ばしたので、お気に召したのだと思うことにする。


「ねえ、蒼也くん。人間の心臓の近くに、トリオン器官っていう目に見えない臓器みたいなものがあるんだって」

 知ってた? わたしは首を傾げ、蒼也くんの顔を覗く。
 彼が苺を食べる手を止めて、わたしを見る。
 至近距離でまじまじと赤い瞳に見詰められ、ちょっとどぎまぎする。

「どこでその話を聞いた」
「どこって、昼休みに友達が話してたのを聞いてただけ」
「…そうか」
「蒼也くんはトリオン器官のこと、知ってるの?」
「……」
「ほんとうに心臓の近くにあるの?」
「……」


 彼は肯定も否定もしないで、わたしを見詰め、黙っている。

 わたしの前ではいつも、彼は嘘をつくことができない。
 任務の内容なんかも、きっとわたしが問い詰めてしまえば渋々口を開くにちがいないと思うこともあるのだけれど、それは彼のためにもわたしのためにも、しないほうがいいと思っているので、訊かない。それに任務の内容については、嘘じゃなくて、秘密なのだ。嘘と秘密は、全然意味がちがう。

「じゃあさ、わたしが心臓で、蒼也くんがトリオン器官だとしたら、どのぐらい近くにあるの?」
「……」
「このぐらい?」

 悪戯でも閃いたみたいに、薄笑いを浮かべにじり寄る。
 わたしの発案によってトリオン器官となった彼の肌は、すこしずつ薔薇色に滲んで熱を帯び、焦点の定まらない目が、たっぷりと水を湛え揺れている。

 苺に絡めたソースのせいで、酔いが回ってしまったのだ。


「恐らく、このぐらいだろう」

 ふらふらした視線がわたしの唇に向けられたあと、彼の顔が近づき、柔らかいそれがぴたりとくっつく。触れたところから伝わる蜂蜜の甘さと、アルコールのにおい、肌の温度。実際のトリオン器官にも、こんなふうなあたたかさはあるのだろうか。

「これじゃあ、ほとんど重なってるよ」
「そういうことだ」
「はぐらかさないでよ、ほんとうは知ってるんでしょう」

 ねえ、ボーダー隊員さん?
 彼の腕を掴み、優しく揺さぶり駄々をこねると、ラップトップに戻ろうとした手がふたたびフォークを握り、苺を刺し、口元へと運ばれる。


も苺、食うか」

 そうして押しつけられた唇から歯列を割って、潰れた果肉とブランデー、蜂蜜、レモンの、粘着質な甘酸っぱい刺激がわたしの中へ入り込み、思考を溶かし、それから何もかもわからなくなった。







2020.04.29