恋とはどんなものか
※文中の水樹キャプテンがアホすぎるため、格好いい主将をお求めの方は閲覧をお控えください。
※臼井くん視点
水樹の様子がおかしい。
話が通じているのか通じていないのか、食い違うのはいつものことだから、それは仕方がない。それでも、今回は違った。俺の話すら、まともに聞いていない。もはや、だれの話も。
部活や試合が始まってしまえば別のスイッチが入るらしく、正気を保てているようだから大目に見てやるが、ほかの時間はまるでだめだった。一体何が起きたというのだ。
「おい、水樹!」
テメー聞いてんのか!
灰原のハイキックが飛んできた。いつもの水樹なら倒れずに踏ん張るところを、盛大に転ぶ。蹴りを入れたほうの灰原の顔色が青くなっていく。
「…お前、大丈夫かよ? 何か変なもんでも食ったのか?」
「ほんと、水樹は変だよな」
「今に始まったことじゃないだろ」
「まあ、それは言えてる」
「でも、さすがにここ数日の水樹は異常だ」
速瀬と国母も口を揃える。
スラックスに付いた砂埃をはたきながら、水樹が立ち上がった。
「俺もそう思う」
「は?」
こいつ、自覚あったのか。自分がおかしいのだと。
次の瞬間、水樹の目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えた。蹴られた部分が痛むのだろうか。俺以外の3年生は、すこし引き気味に、でも心配そうに水樹を見つめている。
「俺は、変態になってしまったかもしれない」
口を開いたかと思えば、意味のわからないことを言いだした。普通ならここで大爆笑、もう一発蹴りでも入れて馬鹿にするのが妥当だが、相手は水樹だ。それに、聖蹟サッカー部の主将でもある。ここは副主将として、じっくり話をきいてやる。
「どういうことだ」
「最近ずっと、
の裸ばかり出てくる」
「
って、同じクラスの
さんのことか」
「うん」
「
さんか…」
「頭のなかに、ずっと
がいる。朝も、昼も、夜も。サッカーしてるとき以外、ずっとだ」
「そうか…」
「それで、裸のまま、俺を抱きしめてくる」
「裸で?」
「うん。そうして手を握って…」
こんなふうに、と言いながら水樹は自身の指と指とを絡めて、祈るようなポーズをとった。
ここまで聞いたところで、灰原、速瀬、国母が噴き出した。猪原も、顔には出さないが口角がすこし震えている。
「まじか」
「それってお前…」
「恋だろ」
恋。
たしかに、
さんと水樹は1年生のときからずっとクラスが同じだった。だからといって特別に仲がいいとか、そういった雰囲気はなかったように思う。放課後、部室付近で俺たちを出待ちする女子生徒たちのなかに、
さんはいない。
「それってオナニーの一歩手前なんじゃねえの」
「おい、やめろって」
「いやいや、これは至って健全なことだろ」
「けんぜん? 何が?」
「いや、お前はいいんだ…」
いよいよ収拾がつかなくなってきたところで、昼休み終了5分前を告げる予鈴が鳴る。
「水樹くん!」
廊下の突き当たりから、
さんがひらひらと手を振っている。5限の数学が急遽視聴覚室で行われることになったから、急いだほうがいいとの知らせだった。
「ひゅーう」
国母が水樹を煽る。
さんには聞こえないように、小さな声で。
「噂をすればなんとやら、だな」
「愛されてんなー水樹」
「おい、よだれ出てんぞ」
水樹は無表情のまま、
さんに手を振り返した。早く移動するべきだと思うが。
「…臼井」
「ん?」
「俺は、恋をしているのか? これは、恋なのか?」
「きっとそうだろうな」
「俺はどうしたらいい…」
いまにも涙がこぼれ落ちそうだった。主将の威厳というものが、もうすっかり消え去っている。この場に下級生がいなくて本当に助かった。俺は、自分の青春を差し置いて、こんなことまでお前に教えなければならないのか。複雑な気持ちが駆け巡る。
「本人にきちんと伝えるべきだろう。これ以上お前が苦しんでいるのは見ていられないからな」
「うん」
「それに俺たちはもう3年だ。後がない」
「うん」
放課後、水樹は自転車置き場に向かう
さんを呼びとめた。無論、これは俺を含む3年生が、告白するなら早いに越したことはないと行動させた結果だ。俺と灰原、速瀬、国母がドミノのように連なっている自転車の影に隠れて、ひっそりと主将の勇姿を見守る。恐らく俺たちのほうが水樹本人よりも緊張しているだろう。
「
」
「あ、水樹くん! お疲れさま」
「お疲れ」
「…これから部活? 頑張ってね」
「うん」
さんは、ふんわりと目じりを下げて笑った。頬がすこし上気している。俺たちは、何台もの自転車の隙間から、はじめて
さんの笑顔をまじまじと見た。彼女は、水樹の前でこんなふうに笑うのか。俺を含め、この場にいた野郎共は全員思ったはずだ。あらためて上から下まで眺めてみると、結構かわいい。水樹、大丈夫だ、お前なら。
「あー」
「どうしたの?」
「
。俺は今、恋というのを、してる」
「そうなんだ…それって、だれに?」
「
に」
水樹の突然の告白に、
さんは驚いて鞄を落としてしまった。教科書や参考書がたくさん入っているのだろう、重たい音が響く。下校のため、自転車を取りに来た女子の三人組が短い悲鳴を上げて逃げていった。
「えっ」
「
は、知っているのか? 恋というのが、どんなものか」
「あの…」
「こんなにも、苦しい」
水樹は
さんの左手をとり、心臓のあたりに置いた。自分の鼓動が強く、速くなっていることを教えていた。
さんがだいぶ困惑している様子だが、ここは一旦、反応を見る。
「…すごく、どきどきしてる、ね」
「うん」
「……」
「
は、どきどきするか?」
さんの顔が、耳まで真っ赤に染まっていった。唇はかすかに震えていて、やさしい目をしている。
「うん。私も、水樹くんと、同じです」
こんどは
さんが水樹の手をとる。白く柔らかそうな、小さな手が水樹の左手を包む。よかった。俺のとなりで灰原は目頭をおさえ、速瀬と国母は肩を組み、うんうんと大きく二度頷いた。俺は先程までの緊張の糸が切れ、ほっと胸を撫で下ろした。そしてその直後、どっと疲労感に襲われた。
この日、水樹は部活の紅白戦でハットトリックを決めた。俺は今後のことを考えるとぞっとして、深く長いため息をついた。
W.A.Mozart: Voi che sapete
2019.03.05