揺れる
バケツの水をひっくり返したように、ざあざあと雨が降っている。いくつもの雨粒がアパートの屋根や壁にぶつかって、バツバツと叩く音が浴室にこだまする。昨日の夜から降り続く雨は、今日も止みそうにない。
浴室から出て、まっさらな下着を身につけたところでインターフォンが鳴った。こんな時間に来客だなんて、大体の予想はつくけれど。
髪も乾かさないままに扉を開けると、いつものようにへらりと笑う慶が立って居た。頭を掻きながら「太刀川、帰りました」と間延びした声で言う。わたしは恋人の突然の帰還に、嬉しさや驚き、安堵した気持ちとが綯交ぜになって、整理がつかないまま彼の首に腕を回す。長い間触れられなかった肌の感触、温度、匂い、声。
「髪、濡れてる」
「うん」
「もしかして風呂入ってた?」
「さっき出たところ」
「それなら、ちょうど良かった。俺も本部でシャワー借りてきたから」
互いの隙間を埋めるように、ぴったりと密着するからだ。抱き締める腕の力がぐっと強くなる。慶の唇がわたしの湿った耳や首筋に触れて、そこから波紋のようにからだじゅうが熱くなっていく。首を傾げ、下から掬い上げるようなキスをされて、いよいよ立っていることもままならなくなったわたしたちは、寝室へなだれ込む。
音楽の流れる部屋でセックスするのがすきだ。バラードとか、クラシックとかでなく、ロックがいい。それも少し激しいの。雨の日ということも相まって、アパートの小さな箱の中にいくつもの音が響く。それらの残響が、わたしの聴覚を支配する。
「はあ…」
染みのついたシーツの上でわたしは揺れる。
長期の任務を終えるたび、慶はわたしを抱く。いつもより、すこし乱暴に。生身の、生きた人間の温かさを確かめるように。わたしたちは、至極原始的な方法で、生きていることを確認する。きこえてくる音の波と内側から迫り来る波とが共鳴し合って、その時だけが気持ちいいと思えるのだ。
わたしは揺れる
(きみは言うならば、ゆりかごで)
テーブルの上には、倒れた香水瓶と、破れたコンドームの袋、すっかり気の抜けてしまったペリエの瓶と、レポート用の読みかけの新書と、それから、
それから、
それから、
「
」
「あ、あっ…」
「俺のこと呼んで」
「…け、い」
けい、慶。
後ろから大きく突き動かされて、四肢がふるえる。意識が遠のき、だんだんと思考が追いつけなくなっていく。濡れたままの髪の毛先から、ぽたりと水が垂れて、シーツの上にあたらしい染みを作った。慶の汗ばんだ手が、わたしの腰のくびれを掴む。終わりが近いのだと分かる。
ふと、爪にべっとりと張り付いたマニキュアの赤が目に入った。それはまるで血のようで、ひどく不気味に思えてきて、咄嗟に指先を噛んだ。前歯の当たったところだけがちゃんとした肌の色をしていて、すこしほっとした。
わたしたちは、まだ生きている。
Dior Vernis: MASSAI #853
2008.09.08: 原案
2019.03.06