FTGFOP







 美味しいフルーツのタルトを出すカフェを見つけたから、一緒に行こう。
 そう誘うと、彼女は喜んで付いて来た。

 待ち合わせ場所に指定した三門駅の出口、柱に凭れて腕時計の針を眺めていると、パンプスのヒールを鳴らして、彼女が小走りで近付いてきた。薄く、涼しげな素材のフレンチスリーブのワンピースの裾が翻り、その度に膝頭が見え隠れし、ウエストの部分に巻かれた、ワンピースと同素材のリボンの端が彼女の華奢なくびれを強調させ、ひらひらと湿った風に揺らめき、僕は思わず息をのんだ。いつも見ている制服も充分似合ってはいるけれど、今日の服装は彼女を一段と可憐に、美しく見せていた。

 夏休みに入り、少しばかり自由な時間が増えたので、彼女と一緒に居られる時間も増やすことができた。今日は午前中に防衛任務と次回のランク戦の打ち合わせがあったため、昼食を済ませてから彼女との待ち合わせ場所に向かった。もちろん、タルトのことも考えて、昼食は軽めにしておいた。


 駅前の大通りから一本外れた道沿いを歩くと、閑静な住宅地が広がり、その中に一軒家のような佇まいのカフェがある。店の前の狭い駐車場には二台の車が停まっていて、それだけでもういっぱいだった。僕たちはその車のあいだの細い通路を歩いて、アーチ状の木の扉を開いた。開いた瞬間に、扉に取り付けられた小さなベルが心地よい音を響かせた。僕たちとさほど年齢の変わらないと思われる小柄な女性の店員さんが厨房から顔を出し、ショーケースの向こう側でメモをとり、丁寧に注文を受けてくれた。


 日替わりのフルーツタルトは、白桃だった。僕は彼女とそれを食べるつもりだったのだけれど、ショーケースの中に白桃のタルトはひと切れしかなかった。彼女は僕を見て、「どうしよう…」と言った。自分だけがそれを食べることは出来ないとでもいうように、戸惑いの表情を浮かべて、唇を窄めたり、噛んだり、真一文字に結んだりして落ち着かない。僕は彼女にどうしてもタルトを食べさせてあげたかったし、この店はタルト以外のケーキも評判が良く、美味しいことを知っていたので、彼女に白桃のタルトを、自分にはレモンメレンゲパイを選んだ。合わせてダージリンの紅茶も一緒に注文し、彼女の手を引いて席に座った。
 席についてからも、彼女は落ち着かない様子で僕のほうを見たり、隣のテーブルとの仕切りとして垂れ下がる麻のレースカーテンに触れたり、店内の照明や、窓の外に見える街路樹を眺めたりしていた。そんな彼女を僕がじっと見つめていると、彼女は少しびっくりしたように目蓋を開き、眉を八の字に下げ、「ん?」と尋ねる。そのときの彼女の顔と鼻にかかったような高い声が、僕は堪らなく好きなのだった。


「大丈夫かい? さっきからずっと落ち着かないようだけど」
「王子くんとこんなふうにおしゃれなカフェでお茶するの、はじめてだから、緊張しちゃって」

 彼女は店内をきょろきょろと見渡して、「それに、お店の中、女の人ばっかりだし…」と口籠った。言われてみれば、たしかにテーブル席には女性ばかりが座っていた。普段から母親とこういった店に出入りして、すっかり慣れてしまっていた僕は、気にすることはないと、彼女の手を取りその甲を撫でた。


 は、それはとても美味しそうに白桃のタルトを食べた。艶やかなコンポートの表面に滑らかにフォークを刺し込み、ひと口ずつ、ゆっくりと味わって食べていた。上品な大きさに切り分け、口へと運んでゆく仕草や、僕の目を見て、美味しい、と微笑む口元が随分と色っぽく見えた。


「やっぱり、このあとは僕の家に行こう」
「映画館には行かないの?」
「あの映画は上映期間がまだあるから、また今度見に行けばいい」

 僕が言い、さり気なく次のデートを仄めかすと、彼女は嬉しそうに頷いて、テーブルの隅に置かれた白と薄茶色の角砂糖の入った瓶を開け、白いほうの角砂糖を一粒、カップの底に沈めた。

「それに、このあいだ家族と出掛けたとき、ダージリンのFTGFOPを手に入れたから、ぜひに飲んでもらいたいな」
「Fなんとかって、なあに」
「FTGFOP。フィナー・ティピー・ゴールデン・フラワリー・オレンジ・ペコーの略だよ」
「…どういう意味なの?」
「紅茶の最上級品ってことさ。このダージリンよりも渋みが少なくて、飲みやすい。きっと気に入ると思うんだ」


 僕はティーカップのダージリン──渋みが強く、恐らくオータムナルと思われる──を啜りながら、食器棚で眠るフォートナム・アンド・メイソンの、鮮やかな空色の缶を思い浮かべた。花柄のティーポットにスプーンですくった茶葉を入れ、お湯を注ぎ、蓋をする。少し時間を置いて蒸らし、そのあいだにクッキーとマーマレードを平らなプレートに広げ、カップに注いだ香り高い紅茶とともに彼女の待つ自室へと持って行く。ガラスのセンターテーブルの上に置き、二人掛けのソファに並んで腰掛け、それらをつまみながら、のんびりと映画を見る。カップから立ち込める、微かなマスカットのようなフルーティな香りが、僕らを優しく包む。しかし僕は映画になんて目もくれずに、彼女の、カップへと伸びる指先や、咀嚼する口元、嚥下する喉、交差する脚の動きを眺め、薄らと桃色に染まった頬へ唇を寄せる。そうして彼女の、シルクのような肌触りをしたワンピースが波打ち、腰に回されたリボンはするりと解け、僕は背中のファスナーを、そっと下ろしてゆく。



 ケーキを食べ終え、穏やかな午後の日差しを浴び、ゆったりと談笑してから、彼女がお手洗いへ行っているあいだに支払いを済ませた僕は、ふたたび彼女の手を引いて、駅前の雑踏の中を、搔き分けるように歩く。
 F、T、G、F、O、P……。
 彼女はまるで、すれ違う人たち全員におまじないでもかけるかのように、先刻僕が教えたアルファベットを、足取りに合わせリズミカルに呟いている。赤信号で停止する度、彼女を見つめれば、「ん?」という愛らしい顔が、僕だけに注がれる。僕は彼女の腰のリボンをどうにかして解きたいと思いながら、自室へと急ぐ。







FORTNUM & MASON: Darjeering FTGFOP 125g
2019.07.30