ささやかな交点







 大学からほど近いワンルームのアパートに俺は住んでいて、あいつはそこからワンブロック先、五階建てのオートロック付きのマンションに家族と一緒に住んでいて、月に二、三度、「友達の家に泊まる」と嘘をついて、俺の部屋にやって来る。



 朝の防衛任務の後、本部の食堂で早めの昼食を済ませた俺は、正午過ぎの、いちばん蒸し暑く息苦しい時間帯に研究室へ向かう。筆記用具と本棚から適当に取り出した文庫本が一冊入っているだけの、くたびれた安っぽい布地にシュルレアリスムじみた訳のわからない幾何学模様がプリントされているやたらと持ち手の長いトートバッグを雑に掴んで、もう片方の手はズボンの前ポケットの中に突っ込み、鍵と煙草とライターを意味もなく弄りながら歩幅を狭め、騒々しい学食の扉から幾人かの仲のいい友達を連れてあいつが出て来るのを、何度も横目で確かめ、歩く。あくまで偶然を装って。


 あいつの声は決して大きいわけではないし、これといった特徴があるということもないが、昼食後のむせ返るような人混みのなかでも俺ははっきりと聞き分けることができるし、さらに言えば日頃の行動パターンや動作の癖もある程度の予測ができる。それはランク戦のときも然りで、だからあいつはよく俺に撃ち殺される。


 ──これじゃあ、なんだか俺は好きな女子を苛めるクソガキみたいだ。



「諏訪さん」


 すれ違い様、あいつが振り向き、俺を見る。声には出さず、濡れたように光る薔薇色の唇を艶かしく動かし、俺を呼ぶ。食欲を満たした学生たちの馬鹿げた笑い声の波がその瞬間にすうっと引いて、俺は自分にだけあいつの声が聞こえたような気がする。そうしてあいつはほんの少し口角を引き上げて、困ったように眉を下げ、意地悪い、それでいてひどく蠱惑的な、女の顔をして見せる。右手を頬の横へ並べ、指先だけを器用に靡かせ、会釈する。どちらかといえばこれは会釈と言うよりも、合図に近いのかもしれない。


 ──今夜、部屋へ行ってもいいの。



 俺の背後で、あいつの連れの一人がだらしなく語尾を伸ばしながら訊ねる。ねえねえ、、だあれえ、いまのお。あいつはなんでもないふうに笑い、「ゼミの先輩」と短く答える。俺は彼女らに背を向けたまま何も聞こえないふりをして、だまって煙草に火を点ける。







2020.06.19