4. 優しくってあったかい
あたしはコンビニでアルバイトをはじめた。
そこは自転車で10分ほどのところにある、昔、パチンコ屋の駐車場だった場所に新しくできたコンビニで、ちょうどアルバイトを募集していた。電話をかけて、つぎの日面接に行ったら、すんなりと合格した。きっとあたしが部活に入っていなくて、土日も働けるのが都合が良かったんだと思う。
あたしは、なにか新しいことをはじめたかった。新しいことをはじめて、新しいことをおぼえて、忙しくしてみたかった。だから、はじめからシフトをたくさん増やしてもらうように店長に頼んだ。「やる気があっていいねえ」と店長はあたしを褒めてくれた。
でも実際のところ、やる気というよりは臆病な気持ちがあたしをそうさせていた。ちょっとでもきょうすけのことを考えない時間を作りたかったのだ。
あれから、きょうすけと顔を合わせるのがなんだか気まずくて、連絡できていない。彼氏とは別れてしばらく経つけど、結局、きょうすけには面と向かって報告するタイミングを逃してしまった。もしかしたら、すでに出水や米屋から聞いて、知っているのかもしれない。ボーダーの子たちはいろいろなことを共有しているから、あたしのことも、たぶん2人のどちらかに伝えておけばいずれきょうすけの耳にも届くはずだ。あたしは今さら彼に直接伝える気にはならなかった。学校でも家でも、先日の彼の言葉を思い出しては悩んで、落ち込んでいる。
さん、好きです。
さんは、俺のこと好きですか。返事はいつでもいいです。
そして思う。
きょうすけはあたしといて楽しいの?
◇
「いらっしゃいませ」
コンビニには、いろんな人が吸い込まれてくるからおもしろい。年齢も、職業も、服装も髪型もさまざま。こんなにたくさんの種類の人がこの世に生きているんだなあと思うと、自分がいかにちっぽけな存在かがわかる。何億分の1のあたし。
21時45分。高校生のあたしは深夜帯のバイトが禁止されているので、あと15分で勤務終了だ。まだ覚えきれていない仕事もあるから、時間が進むのがすごく早い。ちょうどお客さんの数も疎らになって、あたしはモップを取り出してフロアの掃除をはじめた。
「
さん」
自動ドアが開いて、刷り込まれたみたいに「いらっしゃいませ」と顔を上げると、パーカーにTシャツ、黒いジーンズ姿のきょうすけがいた。なんで。
「なんでいるの?」
「
さんこそ、なにやってんすか」
「バイトはじめたの」
「見ればわかります。なんで教えてくれないんすか」
「きょうすけは、忙しいかなと思って…」
「何時上がりですか」
「10時だから、あともうちょっと、です」
「…外で待ってます」
きょうすけは自分のとあたしのペットボトルのレモンティーを買って、外に出ていった。
定刻になり、バックルームで着替えをして、急いで店を出た。きょうすけがスマートフォンを操作しながらあたしの自転車のほうへ近づいてくる。なんだかいつもよりどきどきする。私服姿だからなのか、あたしがきょうすけのことをもうただの後輩とは思えなくなっているからなのか、そのどちらもなのかはわからない。
「ちょうど、スーパーのバイト終わったところなんです」
ポケットに手を入れて自転車の鍵を探すあたしに、きょうすけは言った。レジ締めまですると、この時間になるのだと付け加えた。
あたしは自転車を押して、きょうすけと一緒に並んで歩いた。
「こんな時間までバイトなんて、危ないっすよ」
どこかで聞いたことのあるような言葉だった。思い出そうとしても、張りつめた緊張感がそれを阻む。
「家にいたって、どうせ暇だし。あたしも、きょうすけみたいに忙しくなりたいの」
「だったらべつに、ここのコンビニじゃなくても…」
「いいの、あたしが好きでそうしてるんだから」
きょうすけは黙った。あたしも掛ける言葉がなくなってしまった。
遠くを見ると、繁華街の明かりが色とりどりのイルミネーションみたいに見えて、きれいだと思った。そうして、こんなに薄っぺらな形容しかできない自分にひどくかなしくなった。ブレーキレバーを握ると、手入れのされていない自転車が、軋んだような音を立てた。
「それ、貸してください」
急にきょうすけが振り返り、思い立ったように話しかけてきて、すこしびっくりした。
きょうすけはあたしの自転車のハンドルを奪って、サドルに跨って言った。
さん、後ろに乗ってください。彼はサドルの後ろの荷台に手を置いた。
あたしに断る理由はなかった。
「ちゃんと捕まっててください」
彼の手が、あたしの手を掴んで腰へと持って行く。あたしはされるがまま、腰に腕をまわした。彼の体はあたたかくて、ほっそりした体型の割りに背中は広かった。
自転車は、はじめはよろめきながら進んでいたけれど、次第にスピードに乗って、夜のつめたい空気を掻き分けるように走り抜けていった。ブレーキのたびに甲高い音がしたけれど、それすらもなんだか心地よかった。このまま、どこへだってゆけるような気さえした。
「きょうすけ、このまえの返事してもいい?」
あたしはきょうすけの背中に頬をぴたりと付けて言った。「お願いします」と、彼はいつもより少し声を大きくして言った。なにか言葉を発するたびに、背中が細かく振動するのがわかった。頬を撫でる心地よい風、心地よい響き、心地よい体温。まわした手に、彼の左手がそっと重ねられて、あたしは心から彼を好きと思った。
「あたしもきょうすけのこと、好き」
きょうすけは、玄関のまえで自転車をとめて、また来ますと言った。優しい声だった。
≪ 3 | back | 5 ≫
2019.05.08